LOADING

ストーリーズ2021/03/26HUMAN
仲間のために、母国と日本の家族のために。

仲間のために、母国と日本の家族のために。

UTHP

海野 志羅寿留

PROFILE

1988年、バングラディシュから来日。長年働いた会社の倒産にともない、その事業請負を引き継いだUTHPに移籍した。2部署の責任者として、とくに新人には積極的に声をかけ、悩みを聴いている。日本人の妻と2人の子供を愛する父である。

Introduction
バングラデシュから来日して30年余り。その間、コツコツ真面目に仕事に向き合い、生産性を高め、赤字から黒字化し、2部署の責任者となった。請負現場が移管されたUTグループで、海野がさらに手にしたものとは?

遠く日本へ。やがて無邪気だった頃を過ぎて。

遠く日本へ。やがて無邪気だった頃を過ぎて。

「おい、シラジュル。日本は働きやすくていいぞ。すぐに来い!」

幼なじみからの強い勧めもあり、バングラディシュの大学を中退して来日したのは21歳のときでした。幼なじみも含む4人の外国人と一緒にお世話になったのは、茨城のゴム加工工場です。誰がいちばん生産性を上げられるか、毎日競い合いながら楽しく働いていました。

大手メーカーのクリーナー生産を請け負う工場に転職したのは、来日3年目のことです。ゴム工場と同様、前向きに努力しているうちにリーダーを任され、最終的には70人のスタッフの責任者になりました。会社と現場のあいだを繋ぐ立場になると、それまでになかった不満が膨らんでいきます。時給800円のまま10年頑張っているスタッフが、時給900円の新人派遣社員に作業を教えている。私にはどうしても納得できませんでした。全員の力で業務を効率化し、赤字だった工場を黒字にするという結果も出していたのにです。

そこで私は、せめて同じ給料にしてほしいと、工場長になんども直訴しました。そして、その度に返ってくる言葉に失望していました。

「そこをうまく収めるのがキミの仕事じゃないか!文句がある者は辞めればいい。代わりはいくらでもいるんだ」

UTとの出会いで得られた、オンとオフの変化。

UTとの出会いで得られた、オンとオフの変化。

その会社が倒産したのをきっかけに、52歳のときにUTHPに入社しました。請負業務をそのまま移管したので、仕事も工場も以前と変わらず、直属のメンバーのうち希望した5人も一緒にUTHPに入社しました。彼ら彼女らの待遇改善という当初の約束を守ってくれたのはもちろん、私自身もクリーナー関連の2部署の責任者という、前職からの立場を引き続き任されています。一人一人の安全をいかに守り、いかに意識を高められるか。いかにしっかりと納品できるか。前の会社の時代から10年間ノークレームが続いているのは、チーム全員のチャレンジの結果です。移管後の環境改善も大きな後押しとなり、みんなをよりやる気にさせています。

UTHPに移って手に入られたのは、なによりも安心感です。子供たちにねだられて新しいクルマを買いました。友達を呼んでも恥ずかしくないように、広い間取りの新居も契約し、いまは施工の打合せをしています。そして、2021年の1月には日本国籍を取得しました。以前は考えてもいないことでしたが、「パパは将来もずっと、僕たちと日本で暮らし続けるんだよね」と、家族に安心してもらうためです。
これからも私は、仕事でも家庭でも、バングラディシュを出るときに両親に言われた言葉を、ただ守り続けるだけです。

「わかった、日本で頑張ってきなさい。その代わり、私たち家族やこの国に対して恥ずかしい生き方だけはするんじゃないよ」